福山市,鞆の浦,ひな祭り,歴史民俗資料館

鞆の浦  町並みひなまつり 福山

福山市鞆の浦歴史民俗資料館
当館について 館内案内 刊行物 展示と催し物 鞆の浦歳時記 祭 関連リンク
トップページへ

2018年6月28日

6月30日17:00~沼名前神社で茅の輪神事が行われます。
6月晦日と12月大晦日の年2回,半年の間についた罪・穢れを,身代わりとなる人形(ひとがた)に託してお祓いし,清々しい心身に立ち返るための神事です。

「茅の輪」の由来
 昔,北の海におられた大変武勇の優れた「武塔の神」が,南の海の女神に求婚しようとして,遥々遠くからおいでになられましたが,途中である土地まで来たところ,日が暮れてしまいました。その土地に「将来」という名前の兄弟が住んでいました。兄の蘇民将来は大変貧しく,弟の巨旦将来は大変金持ちで,その家には倉が百も有るくらいでした。
 武塔の神は,まず弟巨旦の所へ行って宿を借りようとしましたが,どうしても貸そうとしません。
 そこで,兄の蘇民の所へ行きますと,兄は喜んで宿を貸してくれ,粟柄でもって御座所を作り,粟飯を炊いて差し上げ,親切にもてなしました。翌朝,武塔神は南の海へ向かって旅立って行きました。
 数年の年月が経ちました。武塔神は八人の御子を引き連れて蘇民将来の家に行き,いつぞやの礼を述べ,「お前の家には子どもがいるか。」とお聞きになりましたので「はい,わたしの家には妻と娘が一人おります。」とおっしゃいました。蘇民は,畏まってその通りにしました。
 その夜,その娘ひとりだけ残して,この土地の子どもらは疫病にかかり,皆死んでしまいました。その武塔の神は蘇民将来に向かって「わたしは,スサノオノ神である。もし,これからも疫病が流行りだしたら,わたしは,蘇民将来の子孫だと言って,茅の草を輪にして腰に付けるが良い。」とおっしゃいました。(備後の国風土記逸文)
※「茅の輪」をくぐる風習に変化したのは平安時代からといいます。

       tinowa

最近の記事

過去の記事

 
福山市鞆の浦歴史民俗資料館